寛永10年分の不明点

木嬰

 

寛永10年2月23日の記事

解読があやしい文字があることをまず断っておくが、

「今度於北海漠父嬰網引上之太刀国主中納言利常献之依為寄物則被遣大僧正天海之評処可為日光山東照大権現御神宝之由被申御請了者相叶賢慮云々」

との一条がある。

加賀中納言前田利常の領内の北海にて漁の網から太刀が引き上げられて、珍しいことなので江戸の将軍に献上されたところ、天海の言葉によって日光東照宮の神宝とすることになったという意味になる。

そこで「父嬰」である。

実のところ、「父」はくずし字の解読として不確かで、「嬰」の赤ん坊という意味に引きずられたところがある。

ところで、石川県には「木嬰」という名字があるとのこと。

もしかすると、「父嬰」ではなく「木嬰」と読むべきで、「木嬰」という人物の網にこの太刀が掛かったと書いてあるのかもしれない。

それと、今も日光東照宮の宝物として伝来しているのかも気になる点ではある。

(以上、2021年4月6日記)