寛永15年分の不明点

岡本宮内

 

寛永15年4月5日の記事。

「京賀茂岡元宮内其外社家弐人御袷被下之」

とある。

 

本稿ではこれまで岡本宮内をすべて、「寛政譜」に記載のある岡本義保と考えていたが、どうやらここでは京都賀茂神社の神職と考えたほうがいいようだ。

とはいえ、「日記」に登場する「岡本宮内」がすべて賀茂神職かというとそうではなく、明らかに武家として扱われている「岡本宮内」も登場している。

つまり、「岡本宮内」が同時期に少なくとも2人存在しているということだ。

 

岡本義保は武家で、下野国塩谷庄3860石の領主。寛永11年7月30日、寛永15年5月8日、寛永15年6月1日の岡本宮内は、在番など武家に関することなので、おそらく岡本義保のことだろう。

岡本宮内の文字の前後に「京」や「賀茂」が付けば、それは賀茂神職の岡本宮内なのだろう。

 

しかし、その場合、賀茂神職の岡本宮内の詳しい経歴は分からない。ただ、寛永11年3月28日には「賀茂之神主」として記されている。

(2022年5月14日記)